三人で行った韓国旅行
                                              加藤洋男

 1985年の暮から86年のお正月にかけて、私と妻と、我々の友人であるワカちゃんと三人で韓国に観光旅行に行ってきました。その印象がさめないうちに、思いつくままに書きとめて見ようと思います。

 昨年韓国のレポートをテレビでやっていました。それで印象に残った言葉が二つあります。一つはケンチャナヨ、日本語に訳しにくいのですが、気にしない、関係ない、なるようになるさ、こんな意味が全部混じった言葉です。もう一つは、ハミョンテンダ、これは一言で『なせばなる!』です。7日間と言う短い旅でしたが、ツァーではなく個人旅行で、全部自分達でスケジュールを組んで旅行しました。その結果、この二つの一見相反するような物事への対処の仕方が、今の韓国人のバックボーンになっているという事がわかりました。

 ですからこの二つの言葉、特にケンチャナヨはしばしば登場しますので記憶しておいてください。ケンチャナヨの最たるものは、値段です。公営の免税店でもどんどんまけてくるのです。始めは戸惑いましたが、おしまいのほうは値段の交渉が楽しみになって、円でも買い物ができるから、ワカちゃんなどは必ず「円ではいくらですか?」と聞いてレートより安いときは円で買うとか、すっかりケンチャナヨになってしまいました。



    1985年暮のソウルの街角


 ついでに韓国のお金はウォンですが、今回のレートは100円が430ウォンです。6年前に私が行ったときは約3倍ですから今回は大変得をしたことになります。4.3で割ると円になりますので、計算を楽しみながら読んでください。

 簡単にスケジュールを書きます。28日の夕方6時半にノースウェストオリエンタルに成田から乗ってソウルに着いたのが9時ちょっと前。市庁行きのバスに乗りタクシーに乗り継いで雲堂旅館ウンダンヨーグァンという韓式旅館に着いたのが10時過ぎでした。 29日はソウル市内、景福宮、国立博物館、東大門市場を主に『テクシー』で見学。もっとも韓国では本当のタクシーの発音が、テクシーに近い発音になるが…。 30日は『民俗村』に行って帰りは南大門市場に寄る。地下鉄で旅館に帰る。 31日は地下鉄でコソクトミノルまで行き、高速バスで慶州キョンジュに行き、バスで仏国寺プルグッサを見て近所の旅館に泊る。

 元日は韓国の初日の出の名所、石窟庵ソックラムで初日の出を拝み石仏を拝んで、バスで市内に戻り、レンタサイクル!で慶州をくまなく見学。慶州の旅館に泊る。 2日は元日で休みだった『国立慶州博物館』を見学して高速バスでソウルへ。 3日は徳寿宮トクスグンを見学して、キンポ空港から成田へ、という強行スケジュールでした。


               雲堂旅館 ウンダンヨーグァン

 『韓式旅館』と聞いてほかの二人は『簡式旅館』だと思った位、その存在が知られていない。今回の旅行では全部この『韓式旅館』に泊った。オンドルと言う床暖房が冬には快適だろうと言うことと韓国人の普段住んでいる家屋に近いだろうと思ったから。それに何よりメチャ安なのです。三人で泊まったという利点もあったのでしょうが、一番安かったのは慶州の王林荘旅館ワンリンチャンヨーグァンの12500ウォン。何と3人1部屋の値段です。念のため一人4千ウォンちょっと。それを4.3で割ると素泊まり一人ほぼ千円以下と言う信じがたい値段が出てきます。

 ソウルでは4泊全部、雲堂旅館ウンダンヨーグァンに泊まりました。この旅館はKKワールドプレスからでている『街を読む・ソウル』 榎本美礼著に紹介された旅館です。ガイドブックには日本から韓式旅館は予約できないと書いていましたが、そんなことはありません。電話番号がわかり、怪しげな韓国語を使う勇気があればちゃんと予約ができます。国際電話で「ヨボセヨ」と相手が出てきますから、こちらも「ヨボセヨ・もしもし」と答えて、すかさず「ナヌン イルボンサラミ イムニダ(私は日本人です)」と続けます。それから後は会話帳で調べておいた「日本語のわかる人とかわって下さい。」といって、わかる人が出ればスムーズにいくし、相手が片言でも、(このへんは一種のカケになりますが、それもまた楽しい)泊まる日と人数だけ伝えれば簡単に予約ができるのです。

 話が脇にそれましたが、ウンダンは典型的な韓国式旅館でした。幸い支配人がかなり日本語が堪能なので、用は足りますが、働いている人はほとんど通じません。若い人だから英語が通じるかと言うと余計チンプンカンプンになってしまうこともあります。電話での予約では2部屋に一人と二人別れて泊まることになっていたのですが、着いて見たら、韓国紳士が黒塗りの車で乗りつけると言う最高の部屋に案内されてしまいました。この辺も随分ケンチャナヨなのです。心配になってオルマイムニカ?おいくらですか?と聞いたら一部屋で18000ウォンとの事。なんだ、それだったら二部屋で16000ウォンとあまり違わないのです。

 韓式旅館では一部屋いくらで計算します。ただ一人増えるごとに2割程度の追加料金を取るシステムになっているところもありますが…。だからウンダンでは最高の部屋に一人1500円弱で泊まれた事になります。三四人の気のおけないグループで旅行すると、アッという値段で宿泊できてしまうのです。ただしもちろん旅館に泊まっての話しです。洋式ホテルは日本と同じか、高級になると日本より高くなる。

 
  ウンダンヨーグァン 両班ヤンバンの座る所     ウンダンヨーグァン トイレ


 今回の大きな目的は『オンドルの部屋に泊まること』でした。予想以上に快適でした。特にウンダンでは暖かいを通り越して暑い位です。座布団の上に座らないと足やお尻がやけどしそうです。食べ物、化粧品などは床に直におけません。お酒を置いていたらおかんがつきそうになったほどです。朝、布団がほとんどかかっていないということもありました。温水を床下に通して暖めるセントラル暖房らしく、夜中にお湯の流れる音がチョロチョロ聞こえました。

 置いてある家具は螺鈿細工の黒塗りの立派な家具です。隅に敷布団の厚いのと、背もたれのようなのがありました。最初の夜はそれに寝ようと思ったのですが敷布もないし、掛布団の薄いのをその上に敷いて寝てしまいました。後日、民俗村へ行ってわかった事は、それは布団ではなく、両班ヤンバン(朝鮮時代の支配階級)がくつろぐときに座る場所でした!もちろんトイレとバスも付いています。オンドルの部屋は8畳あまり。6畳くらいの次の間がついています。

 3日目に2部屋に別れて泊まった部屋は、3畳あまりの定宿という感じです。場所も『ヤンバンの間』はこれが都会の一角かと思うほど物音一つしません。3畳間は夜は遅くまで酔っ払いのわめき声、足音、話し声が聞こえ、朝は早くからご飯を作るオモニ達の包丁の音、話し声が賑やかです。甘えたような猫の声まで聞こえてきます。トイレとシャワーも共同です。1万ウォンの差はやはり大きいのでしょうが、私にはどちらも楽しかったです。トイレも練炭ストーブで一晩中暖房しているし、共同の便所も練炭でお湯が沸かしてあって暖房も兼ねている。

 夜中でも街灯や、表の明かりが付いていて部屋の中はほんのり薄明るい。もちろんカーテンなどというものなどない。そして障子の桟が何と、かつての『梅川旅館』(十余年前に老朽化と種々の事情で両親が見限り、住まいを移した伝説の?旅館)に酷似していたのであった!突然、私は最後の日を梅川旅館で過した夜に帰っていた。

 そういえば、ここの雰囲気は20年前から30年前の梅川に何から何まで似ている。今では死語になってしまった女中さんがいる。チップをもらって喜んでいたタエちゃんトシちゃん、セッちゃん達の顔が浮かんでくる。2日の夜に控え室(出入りの見張りも兼ねている)で車座になって楽しそうに花札をやっていた。その支配人の顔と私の父や、七郎、七右衛門の顔がなぜかダブってくる。
 ウンダンヨーグァンは今回の旅のキーワードでありすべてを含んでいる母体でした。
           (ウンダンヨーグァンは今は地上げでサウナビルになってしまっている。)



             
たべもの のみもの

 韓国では『食は五福の一つ』といって人間の幸福の中でも一番大事なものとされています。これは私の生き方とも全く一致するところなのです。食事の事を細かく書くとそれだけで何十ページにもなってしまいます。印象に残った事だけを書き出してみます。

 一番アレッと思った事は『韓国のキムチはさほど辛くない』ということです。全然辛くないといえば嘘になりますが、見かけは真っ赤でも食べた瞬間ちょっと辛いだけで後にひかない辛さなのです。これは内心『そうじゃないかなあ』と予想していただけに嬉しい結果でした。本で読んだのですが、唐辛子の種類が日本とはまるで違うようです。パプリカに近い感じで、いい香りと適度に発酵した酸味が口の中に広がります。それで、どんなに簡単な食事でも、白菜キムチ、カクテキ(大根キムチ)それに水キムチ(スープを冷ました中に大根がつかっていてスープも飲む)この3種類は必ずといって良いほど出てくる。値段は込みの値段です。ついでに言えば、オデン、うどん(日帝時代の名残) それから後述するが、中華料理店でも気の抜けた酸っぱい沢庵が必ずといっていいほど出てきました。


 オデン、ウドン、それに海苔巻はドライブイン、屋台、売店などには必ずおいてあって好まれているようだ。高校生くらいの可愛い女の子達が屋台で山盛りのウドンと海苔巻をほおばっている微笑ましい光景にも出会いました。

 韓国のキムチはさほど辛くないと書きましたが、唯一の例外が、ウンダンの食事です。朝食を二回食べましたが、キムチはかなり後に残る辛さです。ほかの料理も10品前後あって、なかなか美味しいのですが、すべてに辛味がついていました。結論を出すのはまだ早いのですが、家庭料理では辛味も味の一つになっているのでしょうか? ほかでは軽食堂、屋台でも後にひく辛さというのはなかったから、ウンダンの好みの味なのかもしれません。


  ウンダンヨーグァンの朝食 結構味付けが辛い。でも美味しい。


 29日の昼は捜しに捜して、道に迷い結局はタクシーに乗って『韓一館(ハニルグァン)』という韓国料理屋で食事をしました。メニューが豊富なマンモス大衆食堂です。あんまり色々あるので目移りがしてしまい、冷麺ネンミョンと神仙炉シンソンノと言う奇妙な取り合わせのメニューになってしまいました。ネンミョン2000ウォン、シンソンノ4500ウォン。冷麺もさることながらスープが感動的うまさ。チャーシューの他に挽肉のようなのも入っています。キムチは香りが良い。ほとんど辛くない。横浜で言うと『関内苑』のキムチのように果物の甘味がかなりあります。シンソンノは日本の寄せ鍋のような料理です。これもスープが抜群です。銀杏とか松の実など、色々な材料が入っています。火力はアルコールとのことですが想像していたよりも火力が強いのが不思議でした。

 その日の夕食はプルコギ焼肉が美味しいと言うお店を地図を頼りに右往左往。誰に聞いても首をかしげるばかり。よくよく地図を見たら12月にできたばっかりの乙支路4街ウルチロサーガという地下鉄の駅になってしまっていたのです。腹は減るは寒くはなるはで、タクシーに乗ろうにもタクシーは全然来ない。特にワカちゃんにはつらい思いをさせてしまいました。陳謝!次からはブランドにこだわらず、おなかがすいたらどこでも入ろうということになりました。

 地下鉄に乗り、ようやくウンダン近くのビアホールに入りました。ビール(メクチュ)はOBビール。この他にクラウンビールがある。日本のよりちょっとあっさりしているかなあと言う感じだがなかなかいける。つまみはフライドチキン。二度揚げした奴でパサパサしていてこれはいただけない。御主人に『マッカリを飲ませてくれる所?』と聞いたら、わざわざ50メートル先の居酒屋に連れて行ってくれた。そこでもなかった。後でわかったことだが、マッカリはビール並の度数だし冷たい。だから冬はどうしても焼酎の方になるようだ。後日慶州の市場にある屋台でやかんに入ったマッカリが出たが、風は通りぬけるは、トックを食べた後なのでおなかはいっぱいだで、やっとの思いで飲んだ。飲むほどに体が冷えて、冬はあまりマッカリを飲まない理由がわかった。


 旅館近所の居酒屋のアジュマおばさん


 しかしその時はマッカリのことしか頭になかったから、旅館の人に聞いて、トンドンジュと言うマッカリに似た酒を飲ませる所を紹介してもらった。骨付きカルビを頼んだら量の多い事、日本の焼肉屋の五人前くらいあった。それで慶州で食べたときもそうだったがコチュジャン(お店の手作りで味が違っていた)をつけチシャ菜にくるんで食べる。これは栄養のバランスも良いし、日本でもそうやって食べれば良いのにと思う。もみだれもサッパリしていて甘ったるくない。トンドンジュはマッカリを少し濃くしたような感じで、いける。大きい徳利に7合前後は入っていただろうか?しめて8000ウォン。言葉がまるっきり通じないがウンダンに泊まっている、と言ったら仲良くなってしまい、1月2日にも行って、イカのゆでたのを食べた。

 慶州・仏国寺キョンジュ・プルグッサのホバンジャンホテルは後述するように観光客用の、いかにして日本人イルボンサラミからボルかということに腐心しているホテル(旅館?)だったが夕食だけはすごかった。キョンジュは釜山にも近いし海産物も手に入りやすいのだろう。牡蠣、ホタテを小さくしたような貝、金目鯛の煮つけ、イカ、せいこ蟹……。魚介類だけでこれだけ出てきた。それにキムチはもちろん、野菜もいくつか、15品目くらいの御馳走が出てきた。今思うと大晦日ということもあったのだろうが……。はすを黒砂糖で煮たのだけは食べられなかったが、後はほとんど食べてしまった。

 
  慶州キョンジュの旅館の食事 烏賊、貝、焼き魚、牡蠣、せいこ蟹等、
  海産物が美味しかった


 韓国では食事を残しても失礼にはならないそうだが、このときばかりはガッツイてしまった。全部の料理が薄味だったせいもあるのかな。これで一人3500ウォン、800円とは泣かせますねぇ。韓国は、食いしん坊にとってはまさに天国で、食べ物に関しては絶対ケンチャナヨではない。日本もそうだが、美味しい所とまずい所の客の入りが極端に違うから、ハミョンテンダ!とその店その店の個性的な味を懸命に作ろうとしているように思えた。

 最後に物好きで慶州の昼食、中華料理を食べた話。もちろん漢字でもメニューが書いてあって、前述したようにキムチとタクアンが出てくる。いやな予感がしたので、安いものだけ頼む。焼き餃子、五目そば、五目味噌そば、五目ヤキソバ(どういうわけかこれだけ2倍以上高い)。餃子が先に出てきた。揚げ餃子ではあるが、まあそれらしい味がしている。メーンディッシュを期待したが、後がいけなかった。最悪なのは五目味噌そばで、日本で言うとジャジャ麺に当たるのだろうが、挽肉だけでなく色々入っているのだが、材料が生かされていないと言うか、致命的な欠陥は、中国の香辛料が入っていないことです。私にはカレーの匂いさえしました。

 ワカちゃんは『上野原のヤキソバを思い出す。』と言ってなつかしそうに?食べていました。ぼくが頼んだヤキソバは食べても食べても減らないのです。麺はうどんと韓国の麺を混ぜたような感じ。中華街の料理も日本的になっているとか言われていますが、あんなものではない。全く国籍不明の気持ちの悪い料理なのです。多分中国で比較的本場に近い韓国料理を食べなれている中国人が日本に来て、あまり本格的でない『焼肉屋』の韓国料理を食べると、同じ感慨を持つのではないでしょうか?


 韓中日の味覚における相関関係の比較人類学的考察において、私加藤博士の推論が見事に立証されたのですぞ!味覚において一番仲の悪いのは韓中です。これは炒めそばにキムチを混ぜるか、韓国冷麺に中国のチャーシューを入れることを想像しただけでもさっしがつきます。磁石で言うとプラスどうしで絶対と言って良いほど歩み寄らないのです。ところが日本と両国の関係はと言いますと、これは『旨味』と言う日本独自の主張する領域もありますが、見事に合体してしまいます。寄せ鍋をした翌日にコチジャンとキムチを入れて『玄米クッパ』なんて、もうこれは最高でっせ。クッパが出たついでに中国のおかゆ屋、例えば『謝甜記』に知り合いを連れて行って予想がはずれた事がない。『いい味してるわ』とか言って皆が見な、感涙にむせぶのである。特に関西人はイチコロでっせぇ。話が横道にそれそうなので、この項一応おしまい。


  水原スゥオンへの電車、ハラボジ・おじいさん


             民俗村

 『民俗村』ミンソクチョンはソウルの南方、バスで50分くらい行った所にあります。そこに行くまでの苦労話。ウンダンのお兄ちゃんに民俗村へ行くコソクバスのターミナルを聞いて行ってみたら『今日はもうない』とのつれないご返事。電話でウンダンの支配人に行き方を聞きました。『地下鉄でスウォンまで行けばバスがいくらでも出ている』とのこと。ところがいくら地下鉄1号のスウォンを探しても見当たりません。すがる思いでインテリっぽいお兄さんに英語で聞いたら、ぬぁーんと!それは日本で言う『乗り入れ』の鉄道だったのです。スウォン(水原)スゥオン、スウォン。嬉しくなって心の中で何回もつぶやいてしまいました。1時間近く、もちろん地上を走りましたが、それでもチハチョル地下鉄というのはいとおかし。

 さてスウォンからはタクシーに乗ってボラレたりして、やっと着きました。民俗村は国が、民族の伝統を保持しよう、という事で作った一言で言うと『生きた博物館』とでも言ったら良いのだろうか?日本には『明治村』と言うのがあるが、200年くらい前の、さしずめ生きた『李王朝村』である。また脱線するが最近は李王朝と言う呼び名は日帝が勝手につけた名だから『朝鮮王朝』と言う呼び方に改められている。ここは6年前に来て感激したので外の二人にも見せたかった所。

 
   民俗村 かまど煙突            両班ヤンバン屋敷


 入っていくと、まず焼き物を作っているところがあり、登り窯もあって実際に焼いている。その後各地方のわら葺き屋根の農家がずーっと並んでいる。ガイドブックによるとほとんど全道の民家を網羅しているという事です。道は舗装していない。みぞれ混じりの雨は時々強く降ってスニーカーがずぶぬれになってしまった。ヤンバン屋敷ではテレビのロケをやっていた。

 シーズンオフなのか天気のせいか、昼に重なっていたのか、民芸品を作っているところが所々休みだったのが残念だった。竹細工、草鞋、機織、農機具、扇子、ござ等も本当は作っているはずだったが……。それでも農金具を作っている鍛冶屋、飴作り(まきで釜をたいていた)お面作り等はやっていた。

 四つの微妙に違う風鈴のように鳴るベルを買った。(約2000円)帰って聴いてみると、何ともいえない、いい音がするのです。すずやか,と言うのはここから出たのかと思うぐらいのいい音なんです。寒い所で聴いてもあったかいんです。前に来たとき作っていた和紙、といってはワシの間違いになるのだ!『韓紙ハンジ』は野外なので作っていなかった。ワラビやイモのつる、色々の山菜を干したのも買いこんだ。かぼちゃを輪切りにして干したのも売っていた。

 それにしても。あまりにも酷似している。家といい道具といい風俗、何もかも。だからかつての日本の支配者達は弟分みたいに思って侵略していった面もあるのだろう。でもどう贔屓目に見ても江戸時代前に関していえば『元祖』は韓国としかいい様がない

 
  ピンデット お好み焼き 緑豆を石臼で挽いて鉄板で焼く。マシッソ!おいしい!


 そしてまた食べ物の方にいってしまうが、感激のお好み焼きとの対面!となるわけです。小麦粉ではなく雑穀(緑豆)を石臼ですりつぶして、胡麻油を鉄板にひいて焼く。それをほとんど醤油に近いタレにつけて食べる。ただそれだけの食べ物なのだが、色々な雑穀の味と、香りがミックスして素朴な味を醸し出し、まっこと、こたえられない食べ物なのであーる。前回来て、民俗村というと、このお好み焼きが直結するほど印象深い食べ物です。

 帰りのバス時間までに料理店に入ってコムタンとクッパを食べました。韓国ではスープとご飯が別々に出てきます。食べる分だけご飯をスープに入れて食べるようです。飲み物はライスワイン。トンドンジュと書いていましたから、マッコゥリの清酒のようなもので、これまたイ・ケ・ル。


        慶州キョンジュ 仏国寺ブルグッサ

 慶州キョンジュ、特に仏国寺プルグッサは観光地なので油断するとボラれる。特に日本人はいいカモのようだ。慶州の高速バスターミナルに降りてうろうろしていたら案内所に連れていかれた。公立の案内所かと思ったら、要するに観光業者が客の希望を聞いてホテルやタクシーを斡旋する所だった。『レンタサイクルで市内を回る。』と言ったらこれはアカンと思ったのか相手にされなくなった。

 地元の人が乗るバスでプルグッサに向かった。130ウォン。チマチョゴリを来たオモニ達がたくさん乗ってきた。ソウルでは正装のチマチョゴリ以外はほとんど見かけなかった。今の日本では東京も地方もあまり変わらなくなってしまったが20年前くらいは服装でも全然違っていた。ちょうどそんな感じです。プルグッサでまたうろうろしていたら、日本語を話すタクシーの運転手が寄ってきました。ホテルを紹介するというので時間も遅かったからお願いする事にした。ホバンジャンホテル。ホテルといってもオンドル部屋の韓式旅館。二流の観光ホテルといった所。

 ここが油断をするとカモにされる所だった。例えば『寺まで車をサービスします。』というので乗ると途中でガイドさんと提携してガイド料を取ろうとする。もちろん断りましたが…。夕食もついて全部で2万4千ウォンといったのに5千ウォンサービル料をしっかり取ったり。サービスもあまりしないのに『チップお願い』が出たりという具合です。

 
      仏国寺 プルグッサ 石組み土台


 プルグッサはガイドブックによると『新羅仏教文化の精華を伝える第一の物』です。前回訪れたときは雨が降っていました。今回は穏やかな天気で大晦日だからか人があまりいなくてとても静かでした。ワカチャンが言っていたが、松風を聞いていると、さっきのお金をめぐるいさかいが嘘のようです。改めて、特に石組みのすばらしさには目を見張らされます。ただ建物のけばけばしさは当時からこうだったのか?専門外だから何ともいえませんが疑問の残る所です。建築洋式は奈良の東大寺にそっくりです。もちろんプルグッサが本家なのでしょうが……。

 ただ残念だったのは若草山そっくりだった寺の下の丘のようになっている芝生が整備されて舗装になり、公園みたいになってしまったことです。内政干渉になるから、あまり大きい声ではいえませんが、前のなにも手を加えていない方がずっと良かったのになあ。

 旅館の夕食の豪華さは前に書いた通りです。部屋に戻るといかにもやり手!という感じの30歳前後のマスターが、1万800ウォンでタクシーを出すから初日の出を拝まないか、と持ちかけてきた。歩いても1時間位でいけるのだが寒いし、他の二人のこともあるのでOKした。 そして次の日、早朝からがやがや話し声とか車の音がする。後でわかったのだが、これは全部初日の出を拝む人達だったのです。車が途中で渋滞して少しずつしか動きません。時間に間に合わないかと思ったら有料道路でお金を払うので停滞していたのでした。それが800ウォン。これで何故端数が出たのか謎が解けました。本当ならこちらが払うお金ではないような気もしましたが、もうケンチャナヨです。山上についたら慶州の人間が全部集まったかと思う位のすごい人と車。

 
   石窟庵ソックラム 初日の出          石窟庵 ソックラム


 石窟庵ソックラムは韓国では一二を争う初日の出の名所なんだそうです。キリスト教の団体なのかアメリカのフォークソングをテープでがんがん流していたり歓声が上がっていたり、騒然とした雰囲気です。山の上はあかるくはなっているがお日様は現れない。ふと脇を見たら50ちょっと前くらいのアジュマが手を合わせてブツブツ何かいいながら一生懸命拝んでいるのです。ああ、やはりどこでも人間のやる事は一緒なんだなあと胸がキュンとなりました。今年もいい年であって欲しい。

 そこから10分くらい歩いた所にソックラムはありました。ガイドブックによれば『高さ3.4mの釈迦如来坐像は、純白の花崗岩を丸彫りしたもので、その荘重な姿は韓国仏像彫刻の最高傑作です。』前回は道路工事をしていたため見られなかった石仏です。民俗村のお好み焼きとソックラムが見られれば後はどうでもと思っていた石仏です。突然涙が出るほどの感動におそわれて思わず手を合わせていました。何と暖かいまなざしなのでしょう。『慈悲』というのはこの事かと思いました。

 運転手が待っているだろうと思って急いで帰りました。車に乗ると彼は何故かわからないが怒ってメーターを倒そうとするのです。さっきの荘厳な雰囲気と、この醜い現実とのたまらない落差!『ノーノー!マネー、ホテルマネージャー!!』思わず怒鳴りつけてしまいました。全くいい根性してますよ。

 ホテルで市内へ行くバス時間を聞いたら9時40分まで観光バスはないという返事。悪い予感がしたのでバス乗り場まで行って聞いたら、何といくらでもバスは来てピストン輸送をしているではありませんか。なんとかタクシーに乗せたかったんだろうか?おじさんはうそつきは嫌いです! バスを待つ人達、高校生くらいの年代ですが、整然と並んでいます。さすが教育がいいのかなと思ったのはバスがくるまで。いざバスが来たら突然列が崩れ、もう関係なし、まさにケンチャナヨ!でした。もちろん3人とも押分け掻き分けておかげで早く乗ることができました。

 
  チョムソンデ 東洋最古の天文台        ワカちゃん(若かったぁ!)


 今回のハイライトはレンタサイクルで慶州市内の有名な遺跡をほとんどくまなく回った事です。午後からは雪もちらついたりで冬には薦められる方法ではありませんが、あったかいときは絶対これに限ります。1日貸しで3千ウォン。回った所は古墳公園〜瞻星台チョムソンデ(東洋最古の天文台)〜雁鴨池アナプチ(王様の離宮、人造湖で舟遊びをした。)〜慶州国立博物館(ここは休みだったので翌日に)いったん市内に戻り例の中華料理。午後は鮑石亭ポソクジョン(歴代の国王が曲水の宴をはった所。鮑形に並んだ石組みだけが残っている。京都の城南宮に似たのがある。平家物語の冒頭部分が浮かんでくる所。)〜三体石仏(鼻の先が欠けたりしているが、温厚豊満な容姿の石仏) 

 そしてまた市内に戻って天馬塚古墳を見ようとした。また脱線しますがガイドブックの博物館の位置が違っていて、可愛い中学生の男の子が『ミス!』といって皆で笑ったが、これと同じ間の抜けたミス。いくらさがしても天馬塚古墳がない。聞いてもさっきの古墳公園を教えてくれるばかり。思い余って裏口の建物から出てくる人に聞いたら『ここは裏口ですから私が案内しましょう。』と流暢な日本語で言ってすたすた案内してくれた。何とそこは古墳公園の一角だったのです。私の記憶違いと人が集まっていたので違う出口だと思って行かなかったので
す。

 
  慶州国立博物館,エミレの鐘         鮑石亭ポソクジョン


 天馬塚古墳は唯一中を見せてくれる古墳で中に発掘品を展示している。そしてあんまり親切だから、また新たなガイドかと思って警戒した相手は名刺を貰ってびっくり。慶州文化院の事務局長をしておられる、李 泰賢 イ・テヒョンさんという方だったのです。その後旅館まで連れて行ってくれて交渉してくれたり、市場とか食べる所を色々教えてくださいました。李さん テーダニ・カムサハムニダ! 本当にありがとうございました!


    慶州の焼肉屋さん



              市 場 シジャン
 

 ソウルには大きい市場が二つあります。東大門市場と南大門市場です。東大門市場は主には露天ではなく5階建てのビルの中に専門店がダダーッと並んでいるものと想像していただければ良い。もちろん通りの向こう側には古本屋がダーッと並んでいたり、裏通りにはミシン屋が並んでいたり、とにかくスケールの大きな日用品市場なのだ。特に衣料品店の数の多さには驚いてしまう。ただ日曜の精化食料品店がほとんど休みだったのが残念だ。

 南大門市場はジェーンブ露店で食べ物と屋台がほとんどをしめる。まさに私の好みとニーズにぴったりの所。魚介類を生で並べてその場で裁いて食べさせる立ち飲みがあったので挑戦。夏場だとちょっとためらわれるが、寒いからいいだろう。『これは名古屋にいました。』という感じの良いおばさんのところで、ぬぁーんと、なまことほやに挑戦。お酒はもちろん真露焼酎。20度の2合入り。少し甘味のあるコチュジャンにつけて食べる。おいしーっ!としか言いようのないうまさ。
 昔は日本にもこんな所あったのかなあ。アメ横にも立ち飲みの露店で、ほや、なまこをすぐ食べさせるところがあったら教えてくださぁーい。こんな事をうじゃうじゃ言いながら飲み食いしていたら『サービス』とか言っておばちゃんがぬーッとムール貝の茹でたのを出してくれる。それから名前がわからないが、巻き貝のちょっと大き目のを湯がいてトントンと裁いて、やはりさっきのタレをつけて食べる。これで4千ウォンちょっと。ほやとなまこを日本の居酒屋でたらふく食べたらどうなりますか?


 
 南大門市場,ナムデームンシジャン屋台     なまことホヤ
 チャプチェ春雨炒め   


 食べ物、明太子、これがまぼろしのメンタイコ。もちろん着色なんかしていない。でも輝きがあって、パンパンにはっていて、要するに叔父叔母達からさんざん聞かされた伝説のメンタイコでした。それで値段は日本の約3分の1です。余談だが、空港ではメンタイコとキムチだけは買わない方が良い。日本人の感覚ではそういうとこに最高のものを出すんだろうが、そこがケンチャナヨなんですね。面白いのは、干し柿、生姜の砂糖煮、などを売っている店があった。肉類もすごい。豚の頭をずらーッと並べて売っていた。内臓の腸詰。あれもうまそうだったな。食べそこなってしまった。

 
  南大門市場・豚の頭 (お祝いのときに飾って食べる。
  本当は撮ってはいけないのですが,知らないで撮ってしまった。)



              乗 り 物

 最初にあげたいのは地下鉄チハチョルです。3号と4号線が昨年の12月にできてソウルの交通体系はがらっと変わってしまったようです。我々旅行者にとってはすごくありがたい話です。ハングルが一応読めればかなりの範囲の移動が自由自在になるからです。3,4号線では英語も表示していたから我々外人には都合が良いでしょう。ただ自動販売機はまだないので行き先と、人数だけは向こうの言葉で言わなくてはなりませんが。

 蛇足ながらどこの地下鉄でも必要以上に深く掘っているのは何故でしょう?  答え。防空壕を兼ねているからなのです。ただ急いで作ったせいかソウルの地下鉄はエスカレーターが完備していないのが難点といえば難点。わたしゃ平気だが、お年寄り、足の弱い人にはつらい乗り物です。なんせ日本の地下鉄の2倍くらいは深いんです。値段は日本の4分の1,170ウォン。
 
ついでに言うと、ソウルの街自体も老人とか足の悪い人にはつらい街です。横断歩道橋ならぬ横断地下道が随所に張り巡らされています。地下鉄の発達がこの傾向に拍車をかけているようだ。たまに歩行者信号が会っても、桜木町の信号のように(横浜市民、県立音楽堂利用者はご存知のはず)駆け出さないと途中で変わってしまう、車優先の社会です。

 乗り物で一番感心したのは高速バスです。早いしサービスがいいし安いのです。民族村からソウルまで一時間近く乗って630ウォン。ソウル慶州が5200ウォン。お茶のサービスがあって、イヤホーンでミュージックが聴ける。チョ―ヨンピルとか色々勉強になりました。テレビで映画もやっていました。

 タクシーの運転手さんはソウルの市内は皆感じの良い人ばっかりでした。ソウル市庁から始めて乗せてもらった人は、小松方正そっくり。はじめは『へんなイルボンサラミが乗って来たな』という感じだったのですが、降りるときには笑いが止まらないという感じになっていました。市内では半分くらいが片言の英語が通じます。まあこれも一種の賭けというか楽しみだと思って良い。韓一館ハニルグァンまでお願いしたときの運転手は、彼自身も自信が持てなかったようで、看板を見て、あってよかったというジェスチャーで、ハニル、ハニルと言っていました。年末年始のせいか、タクシーがつかまりにくいということはありませんでした。
ただ繁華街を外れるとなかなか来ないのは、日本でも一緒かな?



            種々雑感

 まず商人の商売上手というか、熱心というかねちっこいのには驚かされた。値段に関してケンチャナヨ、なのは前に書いた通りだが、商売の姿勢はハミョンテンダ!なのです。日本だとつまらなそうに売り子さんが座っている駅とかバス乗り場の売店でも、ちょっと前を通るだけでもアジュマ!(同行の二人くらいの年齢の女性に) ちょっと若いとアガシ!とポンポン声がかかる。立ち止まって品物を見ようものなら大変、イルボンと見ればつたない日本語ででも、この品を買うといかに得か、手を替え品を替え説明してくれて、そのまま買わないで立ち去るのは悪いような気分になってくる。

 圧巻はコスモデパートという地下商店街のお土産物屋のお姉ちゃんだった。日本語がペラペラで、ワカチャンはお金を預かっているので、買う気満万なのが顔に出ているのだろう。『口開けだからまけておきます』とか言われて座布団カバーを買ったら『まあ人参茶でも飲んでゆっくりしていってください。』ということで店の中に落ち着かせ次から次にこれはどう、これはどう、と薦める。ワカチャンも商人と言えば商人だから、支払いを円にするかウォンにするかの選択も含めて虚虚実実の女の戦いが延々と繰り広げられるのであった。下手なドラマよりもずっと面白かった。

 お正月だったせいか、あまりそういう所に立ち寄らなかったせいか、キーセン観光客はほとんど見当たらなかった。その代わり女性だけのグループやカップルの日本人が増えたように思う。慶州では『韓国古都巡り』のツァーバスが多かった。6年前に比べ夜の外出禁止令もないし、ソウル市民の表情は大変明るくなって自由な感じになった。

 税関は出入とも本当に形だけという感じで、お酒と煙草の本数を聞かれただけでした。このまま自由化が進めばビザもいらなくなるのではないだろうか?傑作なのは韓国に入国するときの入国審査官とワカチャンのやり取り『職業はなんですか?』『(職業を言って)私びんぼう。』(パスポートを見て)『アナタビンボウジャナイ。コンナニアチコチイッテイルジャナイデスカ?』 こんな話を双方笑いながら5分位していた。

 最後の夜は飲み屋から帰った後、些細なことからワカちゃんと怒鳴り合いの喧嘩をしてしまった。あんなに大きい声を出したのは何年振りだろう。今考えても恥ずかしいが、これには理由がある。3人とも、数回出会っているから割と日常茶飯事のことなのだろう。タクシーの運転手と客とか運転手どうしの喧嘩というか怒鳴り合いにぶつかった。
 叔父たちの話では夫婦喧嘩も表でやるそうだが、とにかく公衆の面前で怒鳴り合うのです。ただ絶対に暴力は振るわない。お互いにつばがかかるのではないかと思える距離でジェスチャーたっぷりにやるのです。まわりの『お客』は芝居でも見物するような調子で見ている。中にはニヤニヤ笑って明らかに楽しんでいる人もいる。ひとしきりすむと、おまわりさんとか世話好きな人が、まあまあと言う調子で仲裁にかかるわけです。

 
    二人の青年(旅館に連れてきてしまった。)   何とも言えない良い雰囲気。今彼はどうしているか?


 『そんなことくらい自分で考えろ!』最後の言葉は今でも覚えていますが、こう怒鳴って戸を思いきりバシン!と閉めて一人だけ表に出ました。控え室のウンダンの支配人なんかにも聞こえていたのでしょうが、わざと知らん振りをしています。賑やかな所に出たらなんかアホらしくなって、喧嘩のことなんか何処かに行ってしまいました。ちょうど映画が終ったのか青年達がはきだされるように建物から出てきます。まだおなかはすいていなかったが、最後だと思って『焼き鳥屋』さんに入りました。日本の3倍くらいある大きな焼き鳥で鳥の骨付き肉です。にんにくの利かせ方が抜群。

 となりのテーブルで二人の青年が飲んでいました。一人はかなりできあがっていい調子で話しています。英語が通じたので何となくお友達になって、ウンダンに連れてきてしまいました。出来上がった方の青年は李君と言って『三星電子 上鳳代理店の記者』とあるから業界紙を作っている人ではなかったかのでしょうか?もう一人はKBSに勤めている人でした。

 一応のハングルは読めるのと挨拶くらいは覚えていったのですが、中途半端に『すみませんが何何に行く道を教えてください。』と聞くと、言葉がわかるものと思われて往生しました。今度は簡単な会話くらいは覚えていきたい。その方が格段に楽しくなります。『キョンジュヨク(慶州駅)』といったら韓国語でペラペラ、あわてて『ナヌン イルボンサラミ イムニダ』と言ったら流暢な日本語で『日本のどちらから来られましたか?』とか聞かれ、恥ずかしい思いをしたことが何回もあった。

 文法的には全く一緒だから挑戦したい。数は1234 イル イ サム サ ばかり覚えていったのですが、実際に使われるのは、ひいふうみーよ― ハナ トゥル セ ネ の方でした。 3人切符を買うときは、セサラミです。素人の邪推か、江戸弁で『はなっからそんなんじゃ…』のはなとハナは関係があるのでは……。ナラは国と言う意味だし、足はタリです。そう藤原鎌足です。 また貯金をしていきたい。釜山往復だったら3万台で往復できるから向こうの滞在費は安いし、国内に行くよりも安く行けます。



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 日本に帰ってから熱に浮かされたように簡単なメモだけを頼りに書き上げてしまいました。色々整理する所はたくさんあるようですが、食べ物で言うと 『熱いのだけが御馳走です。』 どうぞ召し上がれ。


 
(この旅行記は古い初期のワープロで書いて、パソコンには取りこめなかったので、今回全部打ちなおした。20年前のソウルと慶州キョンジュ…。思った以上になつかしい!特に、雲堂旅館ウンダンヨーグァン、そのあと泊まった文化旅館ムナヨ―グァン。両方とも消えてしまった。古い街並みも大分変わってしまった…。時代の流れを感じる。でも韓国人の気質とか精神は20年前と変わらない。

 この旅行記は初めて韓国に自由旅行をしたので、私の韓国旅行の原点とも言える旅行記である。見当違いなところも多々あるが、敢えてそのまま記録した。このときは、写真も気合を入れて撮った。組写真で,音楽家ユニオン賞もいただいた。)


    
'94年5月に大変お世話になった珍島チンドのTKさんのご感想。
 
旧正月と監査がありメールを見る時間がなく、見ても返事を書く時間がなく、心痛く過ごしておりました。
今年は海割れ祭りを3月・5月・7月とするので今からバタバタしてまして^^:
ようやくゆっくり20年前の写真を見ました。懐かしいこと・・
今から20年前の1985年10月にスタートした韓国生活は苦労の連続でした。
練炭の火を消してしまい夜警をする主人の元に火を貸して・・と、跳んでいき・・良い思いでです。
暖房費を節約するため、また練炭がブームだそうです。
古き良き時代!なんて言葉を使うほど私も良い歳になりました。
                           <珍島のKより>


                        
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