4回目の韓国旅行  1994年8月                                                                                                                                                                なぜ私は韓国に4回も行ったのだろう?これ以上行ったら完全に『韓国オタク』です。自分なりに理由を考えてみました。やはり一番大きい理由は安いこと、特に往復の飛行機代も含めた移動費、旅館代(あえて旅館代というところに意味がある。ホテルは正直一回も泊まっていないので分からないが上等のホテルだったら安いとは言えないと思う)そして飲食代、旅行をするうえで基本的な経費が国内旅行、西欧海外旅行にくらべて格段に安い。

 それから顔付きが全く同じなのに、言葉風俗習慣、、、全てが微妙に、あるいは大幅に違う、楽しさ。このスリリングな快感が一番大きい魅力かもしれない。それと食べ物がおいしい。私は辛いの全然平気人間です。辛いのがつらい人でも辛くない料理は沢山あります。最近は日本でもオシンコを食べない新人類がいるように韓国でもキムチ苦手人間が増えているようです。それから治安が良い。クーラーの無い旅館や農家の民泊では、戸や窓を開けて寝て全然平気だった。

  
                    河回村ハフェマウル


 それとまだ年寄りに席を譲ったり、年寄りを大事にする敬老精神、儒教の教えが日本よりも格段に残っている。これはソウルなどの大都会においては崩れつつあるが、韓国全体ではまだ色濃く残っていて感動的ですらある

 個人的には、ハングルが大分反射的に読めるようになったのと、会話帳片手に基本的な旅行の用は足せるようになった、というのは大きいでしょう。韓国語は好きというか生理的に懐かしい言葉である。前回も書いたが1500年前ぐらいは通訳無しで用が足りていたらしいから、私の何十代前の祖先も韓国、朝鮮語に近い言葉を、百代位前の祖先は同じ言葉を話して、ひょっとして朝鮮半島に住んでいたのかもしれません。豊臣秀吉の朝鮮侵略の時に加藤清正が『活躍』したようだから、これは可能性の高い話かもしれません。

 前置きが長くなりましたが、今回の日程は以下のとおりです。中年夫婦で、地方の温泉と、田舎での民泊、山の寺というのが今回のポイントです。


                ハフェマウル・渡し舟

 1994年8月6日、12時半過ぎ、成田発。2時過ぎソウル着。予約していた文化旅館ムナヨーグァンにバスと地下鉄を乗り継いで到着。土日の午後5時からロッテワールドの裏にある広場ノリマダンで伝統芸能があるというので、地下鉄で移動。民謡、踊り、仮面劇を鑑賞。明洞ミョンドンの全州屋で石焼きビビンバの夕食。夜、私は屋台でおでんをつまみに、真露(韓国焼酎)を痛飲。

 7日。新装なった国立民俗博物館を午後まで見学。また、ロッテワールドまで行き伝統食堂で、トンドンジュ(どぶろくの一種)を飲みながらピンデット(韓国風お好み焼き)とパジョン(わけぎの根まで入ったお好み焼き)を食べる。そのあと鳩サブレーを持って韓国料理屋『牧童』モクトンに挨拶。なにも食べないのも悪いのでカルビタン一人前とビール、女主人は13日迄帰ってこないということで、お父さんと話した。勘定は取らなかった!

 8日。ソウル東部バスターミナルから水安堡温泉スアンボオンチョンの韓一荘ハニルチャンに9日迄連泊。豪華な朝食付二人一泊W29600 (円高で 100円がW796 になっていた。面倒くさいので、以後は8で割った円でだけ表示する。)3700円。8〜9日、終日お風呂に入ったり、散歩したり、本を読んだり、ノンビリする。

 10日。スワンボからバスで忠州チュンジュ、チュンジュダムまでバスを乗り継ぎ高速ウォータージェット船で、奇岩で有名な、丹陽タンニャン八景を楽しむ。バス乗り場までタクシー。今回唯一、正規の値段でない料金で乗る。それでも15分ぐらい走って1250円。若い運ちゃんは実に嬉しそうだった。バスで安東  アンドンまで行き、韓国の田舎、河回村ハフェマウルの農家に民泊する。

 11日。昼過ぎ迄ハフェマウル散策。夕方,大邸テグに着き、お湯のでない、温水オンス荘旅館に泊まる。

 12日。テグ郊外にある、韓国三代名刹の一つ、海印寺ヘインサ、見学。午後テグまで戻り大田テジョンに。コーリアパークという旅館に泊まる。

 13日。郊外の儒城温泉ユソンオンチョンでノンビリする。大田泊。

 14日。バスで公州コンジュへ。終日市内観光。『日式焼鳥屋』で市民と交流コンジュ泊。

 15日。昼近くソウルまでバス。荷物を置いて、鉄道で、水原スゥオン。バスで民俗村。6時迄見学。予定より一日早くソウルに帰ったため文化旅館は満員で、近くのセファ旅館、前回も泊まったところで、しかも同じ部屋!に泊まる。

 16日。終日私の登山靴を求めて買い物しながら、さ迷う。梨泰院イテウォン、鉄道駅のある、清涼里チョンリャンニ、東大門市場トンデームンシジャン目指す靴はなく結局ロッテワールドのデパートで買う。お土産も買う。民俗酒場で張チョンさんという、親戚が、五反野に嫁いでいるという人と、意気投合、マッコリを飲み交しながら談笑する。延世大学のある、新村シンチョンでガイドブックにあった『カン』という日本式居酒屋を探したが、既に名前も変わり、見事にコーリャナイズされていた。夜は一人、ビアーホフでオデンにビール。文化旅館泊。

 17日。旅館のアジョシ、おじさんの勧めにより、旧民俗博物館で中国の秦始皇帝遺物展を見学。午後はキムチ、メンタイコなどのお土産買い。夕食はサムゲタン。昨日のビアーホフでヤキトリ、生ビール。文化旅館泊。

 18日。タクシーで空港に。10時半ソウル発。昼過ぎ成田着。

                                                        
   ソウル その1
 韓国に4回行ったといっても夏に行ったのは2回目で、これほど暑いとは思わなかった。もっとも日本も北海道を含めて、もっと暑かったようだし、今年は異常気象だったようだ。空港から地下鉄の駅までのバスは幸いクーラーが入っていたが、市内バスは半分以上入っていなかった。 多分15年前ぐらいの日本と同じ状況だろう。ついでに言うと、地下鉄も、電車内はクーラーが効いていたが、乗り換えのホームがほとんど効いてないところが多く、換気も悪いのか、猛烈な暑さで参った。

 早速ウチワを買い求め、重宝した。市民もウチワや扇子でパタパタやっていた。もっとも日本に帰ってから、横浜の地下鉄のホームの暑さを考えると、同じだという感じがした。何回もソウルに出入りしているせいか、外国という気がしない。特にソウルはよくも悪くもますます、国際的になってきている。でも一歩路地裏に入れば、日本とは違う懐かしい韓国特有の独特の生活の匂いがする。


  文化旅館ムナヨーグァン
 ムナヨーグァンは前回も大変お世話になったところで、地下鉄の安国アングク駅を降り、迷うことなく午後4時前に着いた。しかし、1年半の間に異変が起きていた。前回あんなにお世話になったおばさんが、胃ガンで入院していた。日本からの予約の電話にも出なかったし、空港からの電話にもでなかったので、もしかしたらと思った不安が当たってしまった。

 おじさんはおばさんにくらべて日本語が堪能でないし、あまり話したがらないというか、意識的に避けるので詳しいことはよく分からないが、食べ物が入らないと言っていたから相当悪いのだろう。本当にアイグー!(何ということだろう)鳩サブレーまで持っておばさんに会うのを楽しみにしていたのに、、、。でもおじさんも大変良い人で、、きれい好きでマメなのか、おばさんが取り仕切っていたときよりも部屋とか全体に手入れが行き届いていた。旅館代は前回と同じ風呂トイレ付き二人で、W13000、ただし円高なので1630円!という驚異的な安さになります。

 前回と同じ様に、欧米や日本の連泊する若者や、我々ぐらいの中年にも人気があるようです。クーラーの設備はありませんが、窓や、しまいには入り口の戸まで開けっ放しで、扇風機をかけて寝てしまいました。冬はもちろんオンドルが入っているので、快適です。

 日本に帰る最後の晩は、溜り場で、11時過ぎまで欧米人の若者、中年達がグチャグチャ話していたので、変な英語で、『すみませんが、私達は明朝早く起きなければなりません。今は真夜中です。どうか今すぐお休み下さい。』と言ったら蜘蛛の子を散らすように、みんな部屋に入って静かになった。翌朝顔を会わせたら、きまり悪そうに「アイムソリィ」と言ってくれました。


  ノリマダン 伝統芸能
 6日にソウルの旅館に落ち着いて、土日の5時からチャムシルのロッテワールドの裏にあるノリマダンという広場で伝統芸能があるというので、早速でかけて鑑賞しました。出し物は、民謡のBGMで飛び入りの踊り(ほとんどお年寄り)チャング(太鼓)の伴奏での民謡、パンソリ(韓国浪花節)、民族舞踊、タルチュム(仮面劇)など2時間余りのプログラムだった。正直言葉がほとんど分からないのでパンソリや仮面劇は少しつらいものがあったが、踊り、音楽は大変興味深かった。

    
                    ロッテワールド裏・ノリマダン


 飛び入りで集団で踊るときに、日本のフリの決められた盆踊りと違い、めいめいが一見、勝手に踊っているように見える。しかし要所要所は決まる。多分阿波踊りの振りや、ネブタの自由さ、に似ているのかもしれない。沖縄のカチャーシィによく似ている。ただ私が興味深かったのはリズムやテンポの多様性です。日本の踊りはほとんど単調な2拍子系のリズムです。

   
   アジョシの踊り                       仮面踊り


 しかし韓国の民謡は3拍子系あり混合拍子あり、テンポも緩急自在で飽きません。大学時代に、今は亡き小泉文夫先生から教わった事、単純に言うと農耕民族は圧倒的に2拍子系のリズムをもつが、狩猟民族は3拍子系のリズムが入る、というのを思い出しました。正に韓国、朝鮮民族音楽はその両方合せ持った大変興味深い音楽です。

                                                        
   景福宮キョンポックン
 キョンポックンは李王朝の正宮として建てられた。旅館から歩いて20分位の所にある。今は大幅な工事をやっている。何でも当時あった姿に戻すということだ。その一環として、ついに!国立博物館として使っている旧朝鮮総督府を壊すことになったという。光化門という立派な門を入ったすぐの所に建っている建物だが、正に日帝植民地時代の象徴の建物で、よく今迄ガマンして残してくれたと思う。

  
                まだ94年には朝鮮総督府が残っていた。


 博物館は2回見たので、今回は新装なった『国立民俗博物館』を見学した。見学は無料。日本語の解説のテープのサービスもある。これは有料だが絶対お推すめ。韓国庶民の衣食住に関する展示が綿密に系統的になされていて感動した。

 日本に戻る前日、キョンポックンの敷地内にある、旧民俗博物館で、秦始皇帝遺物展を見た。旅館のアジョシ、おじさんが「カトウさん、今日から始まったからぜひ見なさい。」と強く勧めてくれた。日本に来たときも見たかったのだが、お墓の中からでてきた遺物が展示されていた。たしかに秦始皇帝の搾取の賜物ではあるがスケールの膨大さと、瀬戸物で作った細密な人物の描写には息をのむものがある。

 髪の一本一本が分かるように描かれて焼かれている。等身大の人物だけでも8千躰以上ある!2300年前にあれだけの技術があったということは驚きである。それにしても、たかが、お墓にあれだけ膨大なエネルギーを注ぐということは生前の搾取のすごさが想像でき、一般庶民の生活苦が容易に想像できる。生前から38年かけて造られたたということです。まだ今の時代に生れてよかったと思った。

 中国は革命で、平等になったかに見えたが、やはりこのような途方もない階級格差は、伝統として残ってしまっているのだろう。現在の中国共産党の幹部と一般庶民の生活レベルの差は日本の資本家と労働者の比ではない。これは旧ソ連、ロシアにおいても同じ様なことが言えると思う。レーニンが革命を起こしたときは平等ということは言われてもスターリンのときに結局、ツァーリ(ロシア皇帝)のような特権階級独裁、恐怖政治が敷かれて、社会主義本来の理想から大幅にはずれていった、、、、、、。

                                     
   水安堡温泉スアンボオンチョン
 スアンボ温泉はソウル東部市外バスターミナルから市外直通バスに乗って2時間半位の場所にある。このバスがクーラーの効きが悪いのか外の気温が暑すぎたのか多分両方だと思うが暑くて参った。

 温泉街まで10分くらい歩いて、あまり表通りに近くでない所ということで、韓一荘ハニルチャンという旅館に泊った。豪華な朝飯付、二人で一泊3700円。2泊して、温泉に入ったり、山の上の見晴らし亭まで散歩をしたり、本を読んだり、実にノンビリと過ごしました。


 ここの旅館のロビーには、1920年代のスアンボオンチョンの写真が掲げられていました。多分『日韓併合時代、日帝時代』に訪れた日本人も多かったのではと察せられます。ハニルチャンでご機嫌だったのは朝飯です。オカシラ付きの魚とおかずが六七品でました!私にとっては辛いというよりかなり塩辛くて全部食べられなかったが、チゲ鍋まで出てきました。山形の田舎でも食べた山菜の干物のオヒタシなどもありました。お昼の山菜定食も名物になっているらしく食堂で、結構食べている人がいました。

 
     スアンボ温泉朝ご飯。マシッソ!


 スアンボ温泉の冷麺ネンミョンが麺スープともに、我が人生のなかで、今までのネンミョンで最高で感動的な味でした!店の名前は教えたくありません。バスステーションを背にして、旧旅館街の割と右手前とだけ書いておきましょう。ちなみに「地球、、、」のスアンボ温泉の地図はあまりにもおざなりで、不正確です。
 スアンボは観光地なのか、『24時間ストア』が何軒もあって少し驚きました。バスターミナルを背にして右手の向こうの方には、遊園地があったり、家族で遊びに来る所なのだと思いました。


 マッコリを売っている店があったので買いました。1500CCで5百円位だったと思います。少し多いと思ったがビールより度数が低かったのか、翌朝は爽快でした。                                        


    丹陽タンニャン八景 
 10日の朝スアンボをたって忠州  チュンジュにバスで向かいました。前日に散歩をかねてスアンボのバス停に時間とか調べに言ったのですが、色々言葉が分からない珍妙な行き違いがあったなかで、お年寄りが一言、日本語で吐き捨てるように「車が来れば分かるよ」といった意味が分かりました。要するにチュンジュまではいくらでもバスが出ているのです。チュンジュからチュンジュダムまでは乗り場が離れていたりして少し難儀しましたが、1時間近く乗って無事着きました。

 忠州は、文禄、慶長の役のときに小西行長が攻め入った所としても有名です。よくこんな遠いところまで侵略したもんだわい、日本人というのは気をつけんと余程好戦的な民族だぞい、と我が身を戒めました。30分ほど待つと、タンニャン行のウォータージェットが出航しました。韓国も水不足のせいか、川の水量が随分少ないように思いました。それでも後半の険しい岩山、奇岩は見ごたえがありました。どうしたらああいう形の岩になるのでしょうか?地殻断層が、地震か火山の爆発かで90度回転しなければ、ああいう地形は生れません。日本にも『材木岩』とか色々ありますが、大変興味深かった。水墨画にある世界です。

 
             タンニャン八景


 水が少ないせいか、『地球、、』に出ていたタンニャン行の船はなく、みな新タンニャンで降ろされて、前述したように今回の旅行唯一の『雲助アンチャンタクシー』に乗ってバスターミナルまで行きました。でも本当はクセになるから乗らないほうが良かったのかもしれませんが、近くのバス停まで歩いてバスを待って、というより、はるかに能率が良かった。アンチャンのおかげで?安東アンドン行きのバスに飛び乗ることもできた。

                                        
   河回村ハフェマゥル その1
 記録もしそこなったし、記憶も定かでないが、確かタンニャンから安東アンドンまでは、2時間前後で着いたと思う。山のなかのクネクネした道をかなりのスピードでバスは走った。

 アンドンは後述するテグと並んであまり良い印象の町ではない。ソウルの様な大都会でもないし、かといって全州や、光州のような独自の文化というか歴史から来る伝統も感じられない中途半端な町、という感じがした。最も河回村ハフェマウルに行くための中継地点でしかなかったから、一概に結論付けてはいけないと思うが、、、。

 風が吹いて、埃っぽくて、ドイツのシュトゥットガルトを連想した。良くない印象は、稚拙な客引きのおじさんがいたためによけい増幅されたのかもしれない。ハフェマウル行きのバス停(『地球、、』のバス停の位置が違っていた)で時間を調べていたら、一見親切そうなおじさんが『ハフェマウル?』とか聞いたので、『ウェー』とか適当に返事したら、親切にも?往復のバス時間を書いて教えてくれた。(但し一部違っていたが。)

 旅行ずれしている我々はピン!ときた。 あ、これは、、キャクヒキダー! 後は名刺をもらって、御礼を言って、ハフェマウルに着いてからは、『ナンデツイテキィヘンノ?』という焦ったオッチャンに対して、ミアンハムニダ、ケンチャナヨ!(すんまへん!きにせんといてえな)という感じになってしまうのです。ほんま、あのときのオッチャンごめんな!



 河回村ハフェマウル。今回の旅行で一番印象深い所でした。前回行こうと思ったのですが、余りの寒さにたじろいでしまったのです。日本人よりも韓国人が失われた古き良きものを求めて来ていると思いました。見学は大変多いのですが、そこに泊る人はそんなに多くないような気がしました。ただし、その日は平日の水曜日だったからかもしれません。名前をメモするのも忘れたし、スワンボの幻の冷麺屋のように、正直あまり教えたくもないのですが、我々が泊った民宿はメイン通り中ほどに『民泊』とハングルで書いてあるところを左に70メートルくらい行った所、とだけ書いておきましょう。

   
   泊まった民泊(民宿)                  民泊の裏の路 


 
           唐辛子干し


 そこは全く日本語は通じません。あの応対からすると、ほとんど日本人は来ていない感じです。夕方宿泊を頼んだときは60前後のアジュマが応対してくれました。そのとき一番面白かったのは、トイレは何処ですか?(ファジャンシル、オディイムニカ?)といったらファジャンシルと言ったことにたいして相当おかしかったようで、しばらく笑いをこらえていました。別棟の水洗でないところにたいしては、便所(ピョンソ?)とか言えば良いのでしょうか。今思い出してもおかしいです。

 そして、その民泊では、何と網戸がなく、カヤ!をつってくれました。さすがに私が子供のころの重たい麻製ではなく、化繊の軽いカヤだったが、感動しました。夜は障子の窓も、入り口の戸も開けっ放しで寝ました。川面から吹いてくるのでしょうか、涼しい風が、セミの声とともに入ってきます。正にワビサビの境地です。

 一挙に40年位前に子供だったころ、母の実家に泊りに行った夜に戻ってしまいました。 ただ違うところは、 母の実家、山形県白鷹町高玉は、台所に、清流が引き込まれていた(台所のことを『ながし』と言っていた)が、水道が入っているのと、テレビが入っているぐらいの違いです。

 となりの部屋にはかわいい女子大学生(高校生くらいにしか見えない)が二人泊っていました。古き良き韓国を求めて都会から泊りに来ているようです。日本だと飛騨高山の合掌造りの民宿の小型版という感じでしょうか?

 そこの家は、理由が分からないが、男手がいない。60前後のアジュマと30才くらいの娘さん(結構美人)それと80をこえていると思われる、かわいい御祖母ちゃんハルモニ3人の家族構成でした。中流の生活程度というか、落ち着いていて上品な雰囲気でした。蚊取り線香を出してくれたり、色々気も使ってくれました。ぜひ!また泊ってみたい。

                                             
    ハフェマウル その2
 翌朝6時半に起きて、ハフェマウルの北村家、養真堂、忠孝堂などの古い屋敷を写真に納めました。ここで、私得意の勘違い、向こう岸に行く渡し舟の船着き場の位置を正反対の所だと思い込んでしまいました。帰って地図をみて納得。

 
          名士の家


 朝飯は、目玉焼や、きゅうりのサラダ、なすのいため物、魚の塩焼があったりで辛いものはキムチしかなく、日本人に合せてくれたのか、そこの家がそういうものを食べているのか、あまり韓国という感じがしなかった。物足りないというのか、ちょっと意外でした。

 食後荷物を預かってもらって、渡し舟に乗って対岸にわたり芙蓉台という、村が一望に見渡せる見晴らし台に向いました。このときがこの旅行最大の危機で、何と直登の道があったのに、左に巻く道を歩いてしまったのです。カミさんは「違う道だから引き換えしたほうが良い」といったのですが、私は巻いて登る道しかないと思い込んで行きました。狭いところは10センチ あるかないかの道で、すぐ崖下になっていて30メートルくらい下は河です。北アルプスでもあんな危ない所はありません。遠くから見たら全くの崖で今考えても足がすくんでしまう感じです。

 カミさんゴメン! 何とか登って、下ったら、船頭さん(懐かしい言葉です)があまりに時間がかかるので、途中まで迎えに来てくれました。ジェスチャー混じりで左の方の道を登ったと説明したら、びっくりした様子で、日本語で「アブナイネ!」という返事でした。65か70才くらいだと思うが、すてきなおじいさんでした。子供の頃の童謡『村の渡しの船頭さんは、今年60のおじいさん。年はとってもお舟を漕ぐときは元気いっぱい櫨がしなる。それギッチラギッチラギッチラコー』を思わず心のなかで口ずさんでしまいました。

   
    渡し舟                          船頭さん(もういないだろうな?)

 


 昼過ぎまで船着き場のあたりでノンビリして、民宿に荷物を取りに帰ったら、娘さんが昼寝をしていました。私のつたない韓国語で『大変良かった。』と言ったら通じたみたいでニコニコしていました。

     
    大邸テグ
テグはソウル、プサンに次ぐ韓国第三の都市で人工は約 200万人。『山に囲まれた盆地のため夏の暑いことでは有名だ。』と『地球、、』に書いてあったが、正にそのとおりで、とにかく暑かった。一番辛かったのが、12日、海印寺ヘインサから帰って、西部市外ターミナルから、東部高速バスターミナルに向うバス。クーラー無しで、地下鉄の工事をしているので交通渋滞。1時間半くらい乗ったが、3才くらいの男の子は汗だくになってグッタリしていた。多分40度近くあったのではないかと思う。 山形の暑さを思い出した。

 アンドンからバスに乗って夕方着いた。『地球、、、』に載っていた『温水オンス荘旅館』に泊った。何とお湯が出ないので、文句を言いに行ったら、『ボイラーが壊れていてオンスが出ないんですよー、アッハッハ。』と笑い飛ばされてしまった。温水のでないオンス旅館、、、、、、。しゃれにもなりません。

 テグは横浜のように広いのに、交通機関がバスだけしかなく、よけい不便に感じました。韓国のバスはどこでもBGM過剰気味であるが、特にテグのバスは、陽気な演歌調の曲が流れ、運転手もその音楽を口ずさみながら運転していました。余りにも暑いから歌でも歌わなきゃやってらんないよ、というところでしょうか。 

      
  海印寺ヘインサ
 ヘインサはテグの西部バスターミナルから約一時間行ったところにある、韓国三大名刹の一つです。通度寺トンドサは仏、海印寺ヘインサは法、前回行った松広寺ソングァンサは僧、といわれています。『八万大蔵経』といわれている、お経の版木が圧巻です。今から七百年ほど前の版木に刷った般若心経をお土産に買い求めました。何回も火災に見舞われ DC700年くらいに造られたと伝えられる三層の塔が、往時の面影をとどめています。

   
                     西暦500年くらいのお経の版木

  
                       版木を保存している建物


 本殿の右側の道場みたいなところでは、沢山の修行をしている人達が、五体投地を繰り返して、暑さと、膝が曲がらなくなって、苦痛に顔を歪めている若者たちもいました。禅の修行とは対象的な動的な荒行です。

 結構観光地化されていて週末のせいでもあるのか結構な人出です。食事をしないかというおばさんの客引きに会いました。荷物を預かってくれるというのですが、なにも食べないわけに行かないのでカムサハムニダ、ケンチャナヨ! とお断わりしました。すぐ近くに『農協』みたいな公共の建物があったので「荷物はどこで預かってくれますか?」と聞いたら、「ここに置きなさい」ということで、無料で預かってもらいました。ありがとうコマスミダ

 前に山形で食べた餅とうもろこしよりもっと粘りのあるとうもろこしを買いました。少しで良いというのに五六本入れてくれた、、それも小さいのを、、、。お金は大目に取られた。どうでもいいやケンチャナヨという気分になってしまって、文句も言わなかったのですが、結局食べきれずに悪くなって半分くらい捨ててしまいました

 本当はヘインサに泊るつもりをしていたのですが、予定より早く見学し終えたしあまり涼しくもなかったし、賑やかすぎたので大田  テジョンまで行っちゃえ!ということにしました。

    
   大田 テジョン 
テジョンは昨年1993年に万博が開かれた町です。 そのせいか、英語の表示が多かったり、案内所では英語や、時には日本語が完璧に通じて、居心地が良かったです。テグにくらべて面積は狭いのか、東西のバスターミナルの連絡もそんなに不自由しませんでした。ただ、高速バスターミナルと、東部市外バスターミナルのそばの旅館に泊ったのですが、『地球、、』に載っていたバスの番号が全然違います。多分万博のときに大幅に変えたのだと思う。参考までに、ユソンオンチョンに行くバスは102、103 です。テジョン駅にいくバスは 860。西部市外バスターミナルに行くバスは 703です。

 テジョンには2泊したのですが、コリアパークホテルという旅館でした。まだできたばかりで、エレベーターがあるのが自慢のようでした。高速バスターミナルそばのロッテッリアの右側の道を三四分入ると左側にあります。この旅館が設備的には今回の旅で、一番まともだったでしょうか、ただし、空調はまだウィンド型が主流です。古いホテルでは結構うるさくて、夜は止めて網戸を開けて、扇風機をかけて寝ました。

ちなみに、地方都市に行くと『ファストフード店』は全くロッテリアの独壇場という感がします。マグドナルドもソウルの繁華街でしかお目にかかれません

 テジョンは最初に韓国に行ったときにも泊った町ですが、一見インターナショナルな感覚を押し出しながら、昔ながらの地方都市の良さも残している町でした。レストラン風ビアホールで生ビールを飲んだのですが『オジンなんとかかんとか』とメニューに書いてあったので、多分、いかのフライか煮物ぐらいが出ると思ったのですが、何とスルメが出てきたのにはビックリしました。日本のスルメより生焼けで出てきたので、噛むのに骨がおれます。

 東部市外バスターミナルの近く、通りの反対側にマッカリ4合を3百円くらいで飲ませてくれる店があって、2晩とも通いました。カクテキかなんかをつまみに、よく冷えたマッカリを飲む喜びは、正に真夏の韓国ならではです。

                                           
   儒城温泉ユソンオンチョン
 テジョンの高速バスターミナルの近くの市内バス乗り場から約50分、地図をみて、ひなびたところでゆっくり入ろうということで、『不老湯』とかいう旅館に行ったら、泊るのと間違えられて『お風呂は何処にありますか?』と聞いたら、舌打ちをしながら『リヴィエラ!』というおばさんの返事が返ってきた。

 ホテル、リヴィエラに行って納得。宿泊客の入口とは別に温泉に入る客専用の入口があって、結構繁盛していた。値段は3百円ちょっとで、あらゆる温泉好きの嗜好を満足させてくれます、打たせ湯、水風呂、気泡風呂、ジェット風呂、乾湿のサウナ、別料金になるが垢すり(なんとなく観察したが、局部を含め1時間ちかくこすっていた。垢すりの体験はもう少し先に伸ばしたい)もあります。    

 石鹸、タオル、シャンプーはもちろん完備しています。かなり熱めのお湯なので一回脱衣所で、休憩して、2回入りました。韓国の人は、一日がかりで来ているようです。面白いのは、男女とも(女性に関してはカミさんに聞いた話ですが)大事なところを包み隠さずに堂々と露出して、あおむけにになって昼寝していることです
      

   公州コンジュ
コンジュの高速バスターミナルは河の反対側に移っていました。タクシーでもワンメーターで中心部まで行きますが、市内に旅館を探す人は、終点まで行かないほうがよろしい。

中心街から 200メートルほどはなれたところに、新しく出来た旅館街があってそのなかの一つに宿を取りました。コンジュは百済の2番目の都で、1971年に偶然発掘された、栄山里古墳群とその出土品からなる、国立博物館が観光の目玉です。慶州キョンジュなどに比べると規模はかなり小さい。でもこじんまりして落ちついた良い町です。

   
     公州コンジュの古墳              コンジュのカルビ屋さん


 肉屋さんが経営している料理屋がおいしくて、感じが良かったので、昼に冷麺、夜はカルビを一人前頼んで二人で食べました。正解でした。二人前頼んだら食べ切れなかったと思う。そこのおばさんが親切で、色々食べ方を丁寧に指導して下さいました。

 古墳をみて、旅館で休憩しているときに興味深いテレビを見ました。一つは金順男、キンスンナンという作曲家のこと。歌曲が中心でしたが、器楽曲も含め、素敵な音楽でした。戦前の尾高氏の感じになるのでしょうか。 もう一つは、高知の高校生が、韓国を訪問して、従軍慰安婦をはじめ『日帝』の戦争犯罪を知らされて、ショックを受けてドキュメンタリー映画を作るという話です。特に日本の高校生の話は、ハングルの字幕付で日本語がじかに聞けたこともあり、感動的でした。

 夜食事をしてから、コンジュの町を、一人ウロウロして『日式焼鳥』の店に入りました。ここで、日韓の民間交流が、壮大に繰り広げられたのでありまーす。まずその店のお母さんの親戚が、熊本に居るとかで大変親日的、『日本語を勉強しつつある青年』とか『英語が私程度に話せる自称作家』とか『コンジュ観光ホテルのスタッフ』とかが入り乱れて、日韓英語チャンポンで会話が飛び交いました。

 名刺やら、住所を書いた紙とか頂きました。日本語を勉強しているという青年の言葉、胸にグサリときました。『日本人は物は豊富になったかもしれないが、情がない。』 まったくそのとおりです!気を付けたいです。

 ただし翌朝は、情がそれたタクシーの運ちゃんにあたって、私は絶対許せない感情で『兄ちゃんメーター倒しな』と言って猛烈に怒ってドアに手を掛けて、降りるジェスチャーをして断固!規定料金と端数しか払わなかった。素直に運んでくれれば、ワンメーターだからチップは昨日の運転手さんに払ったように払うつもりだったのに、、、。韓国を旅行する皆さん、メーターを倒さない運転手が居たら断固、降りるか、降りる素振りをしましょう。韓国は観光に力を入れているから、悪質なタクシーを申告する制度もあります。


   水原民俗村スゥオンミンソクチョン
 水原民族村スウォンミンソクチョン民族村を訪ねるのは3回目です。最初は20年近く前、『韓国古都巡りツァー』でお好み焼き、ピンデットが感動的においしいイメージ、しかありませんでした。

 前回、水品さんと3人で来たときは、お正月で大変寒かった。色々なお店も寒さと、雨のために、殆ど開店休業でした。今回は韓国の伝統的な韓紙作りや藁靴シプシン(わらじと違って先が割れていない)、煙管、飴作り、まゆ玉からの糸紡ぎなど、前回見れなかった伝統工芸の製作現場に接することができました。

 ただ、いかんせん暑かった!でも、人出は冬に比べれば格段の違いがあります。8月15日は韓国にとっては日本からの解放記念日、光復節にあたり祝日なのです。韓国の伝統婚礼儀式も見ようと思ったが、狭い広場にギッシリの人いきれで、堪え切れない暑さ、カメラチャンスもなかったし、早々に次の所に移りました。名物になっている、韓国お好み焼きピンデットをつまみにトンドン酒を飲みました。ここのは濁り酒ではなく透きとおっています。

   
  繭玉を煮て糸を紡ぐ。子供の頃田舎のおばあさんがやっていた。なつかしい!!

   
   箒作り                        煙管作り

   
                    草鞋作り(ただし指先は割れていない)



 民俗村に着いたのが4時近かったので、閉門の6時半まで見学しました。帰りのバスは丁度ラッシュにあって、水原スオン駅まで30分位の所要時間が1時間以上かかってしまいました。                                                                          


   ソウル その2
 前回もそうだったが、韓国各地を回ってソウルに帰ってくるとほっとする。何回も何日も滞在しているせいもあるし、文化旅館の家族的な雰囲気もあるのでしょう。ただ予定より一日早く帰ったので、文化旅館は満員でアボジは近くの旅館を紹介してくれた。そこが何と!前回紹介してもらった同じ  セハ旅館だったのです。しかも同じ部屋。ここはカミさんが風呂場ですべってころんで、救急車で病院に行ったといういわくつきの部屋です。全然ジンクスを信じないほうなので、何ともなかった。

 ロッテワールドに登山靴とお土産を買いに行きました。1万円弱で革の登山靴が買えました。イタリアのFila製です。石井スポーツで同程度のを見たら、2万4千くらいしました。木製のつがいの雁の民芸品もお土産に買いました。伝統民俗酒場でトンドン酒を飲んでいたら、「日本の方ですね?」と日本語で話しかけられました。韓国の人で、張チョンさんという53才のアジョシでした。

   
   清涼里チャンヤンニ・もちつき             ロッテワールドで張チャンさんと


 親戚が、足立区の五反野に住んでいて何回か行ったということです。日本語を話せるのは父親が戦前、日本の中央大学を出て、警官をやっていた影響だということです。流暢とまではいきませんが、韓国語もはさみながら、カクテキをつまみにトンドン酒を飲み交しながら色々話しました。ソウル郊外の伏安里というところに住んでいて、休みになると、気晴らしにソウルに出てくるということでした。仕事はビルの守衛さんです。私が音楽をやっているといったら、娘が美術学校に入っていてお金がかかるとボヤイテいました。

 『イルボンオプタ』(日本には何もない)という本を知っているか?と聞いたら知っているということでした。イルボンオプタという本は韓国の超ベストセラーで韓国の女性新聞記者が東京特派員時代に感じたことを書いた本で、そろそろ別名で日本語訳も出るはずです。東京で下宿を探したときに害人扱いされた経験からの民族差別問題、従軍慰安婦問題、バカギャル達が黒人を買う道徳低下の問題などかなり痛烈な内容のようです。

 チョンさんは友達の中野孝憲氏、タッちゃんによく似た風貌で率直で感じの良い人でした。住所も教えてくれたので、旅行記ができたら送ろうと思います。

 最終日17日。ロッテデパートでキムチとメンタイコの買い物をしました。両方とも違う業者が4つくらい入っていて競争をしながら売っています。比べながら気にいったのを買うことができます。もちろん試食もさせてくれるし、包装も完璧ですからお土産に持って帰るには市場より割高かも知れないが、こちらのほうが安心です。

 キムチはさすがに発酵しすぎて膨らんだが割れることはなかった。白菜キムチチョンガキムチ、カクテキ、メンタイコも粒の大きいのをかなり買いました。ミョンドンのレコード店では韓国民族音楽のCDを5枚買いました。

 夕方はミョンドンにある百済参鶏湯ペクチェサムゲタンという店でサムゲタンとオゴルサムゲタンを食べました。鶏、丸一羽の中に朝鮮人参、なつめ、米、松の実など体に良いものがいっぱい詰まったスープです。オゴルサムゲタンは骨、皮まで黒いオゴルゲという鶏を使った料理で、やはり身が締まっていて美味でした。お赤飯、キムチ、おちょこの人参酒付きでサムゲタン875円、オゴルゲサムゲタン1562円、7勺くらいの人参酒250円。

 夜になって少しおなかがすいてきたので、旅館近くのビアホールに行きました。中生一杯150円。韓国ではビンビールのほうが高い。ヤキトリ一本50円のを5本、ハツと砂ギモそれぞれ3本ずつで190円。韓国では『日式焼鳥』が流行っているようでした。コンジュのもそうだったが、細い串に矮小化された肉片がチマチマと付いている。

 おいしかったが、我が日本文化が必要以上に矮小化されたようであまり愉快ではない。面白いことにこれには唐辛子は、かけない。若いマスターに呼び方を平仮名と、ハングルで教えてあげたらものすごく喜んでいました。マスターはとても陽気で、話好きな人で、店全体の雰囲気が健康的で華やいでいました。

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