24回目冬の?ソウル       加藤洋男 
2007年2月27日に成田をたち、3月3日にソウルから帰ってきました。8人旅でした。私は24回目、Hさんは4回目、I、F夫妻とOさん、Sさんは初めての韓国ソウルでした。皆さん海外は何回か行かれた方ばかりだったので、大きなトラブルもなく楽しい旅になりました。
 

  
  民俗村 農樂舞                                 古宮コグン ピビンパ 

2007年2月27日(火)
 インチョン空港に予定通りお昼に着く。大韓航空の飛行機は満員だったので機内持ち込みの荷物が制限され、荷物を預けたので少し手間取る。先に荷物を受け取った人から両替をしてもらう。100円が756ウォンまで下がっていた。1000ウォンが130円のレートになる。結構財政的にはきびしい。ウォンをWのみで表示する。

 今回も昨年2月のように油断をしたら鐘路4街・チョンノサーガまでバスに行き過ぎされてしまった。乗る時も運転手にチョンノ3ガに行くか確かめているし、荷物を預けるときにも、チョンノ3ガで降りることは解っているはずなのだが、ひとつ手前で改めて強く降りることを言わないと駄目なのか、謎である。

 もう2時近くになっていたので、旅館に着く手前で冷麺を食べる。少し変わった麺で白っぽかったがおいしかった。やはりキムチや色々なおかずがサービスでついてくる。でも2月に冷麺を食べてもいいかな?と言う気持ちになるのは、やはり異常気象だ。コートや手袋がいらないほど暖かい。後で、テレビで確かめたら、全日程を通して最低気温が3度前後、最高気温は平均15度だから異常気象だ。でも旅行するには楽だが…。

   
   冷麺を食べるとこれだけ副采がサービスされる  冷麺・少し白っぽい。でもマシッソ!


 旅館で部屋割りだけして、荷物を置き、急いでタクシー2台に分乗して民俗芸能、貞洞劇場・チャンドンクッチャンに行く。タクシー運転手によっては解らないかと思い、徳寿宮・トクスグンで待ち合わせるように打ち合わせたが、いくら待っても来ない。先発組は劇場前まで行って、そこで待っていた。今回は私とFさん、それにI夫人の3人が韓国でも通じる携帯電話を持っていたので、このときも連絡が取れて、事なきを得た。トクスグンの正門では衛兵の交代儀式をやっていた。

 


 チャンドンクッチャンは、私は何回も観ているが、やはりすばらしい。『地球の歩き方』を持っていると二人まで一割引になる。4冊あったので全員割引になって一人18000W。冷麺を食べながら電話で予約もしたので一番前のかぶりつきで楽しめた。今回気がついたのは、今までと違って歌や演奏でマイク、PAを使っていなかったことだ。そんなに大きいところではないので、生音の方が絶対に良い。琴や胡弓は正直あまり響かず日本や中国の方が発達した楽器なのを実感する。ただそれなりに味がある。ピリという管楽器と太鼓類は迫力がある。特に太鼓のお兄さんは去年と同じ人だったが、すばらしいリズム感だ。それに何と言っても最後の農楽舞のテープ回し。昨年は若手の少し太った方がクライマックスの長―いテープ回しを担当して、いまいちだったが今年は少し年長の真打?の方が出てきて、すばらしい演技を披露してくれた。思わず、体が反応する。お客さんも昨年よりかなり多く、会場は熱狂に包まれた。


 


  
  Fさんえらい!                     限りなく鼻の下が長い…


     
          本当に可愛い!! チョンマルキオプタ!!


 終演後は表の広場で、お客さんと一緒に踊ったり、出演者と写真を撮るコーナーもあった。Fさんも輪に加わって踊っていた。えらい! 私は勇気がないので、写真撮り専門。今年初めて見る美形の踊り子さんと鼻の下を長くして記念撮影。男女とも激しい動きで、せいぜい30代までの短い期間しかできないなぁと思った。

 市庁・シチョンから地下鉄で明洞・ミョンドンまで乗った。Tマネーカードを買う。いちいち切符を買わなくて良いし、一割引になる。ミョンドンは東京で言うと渋谷にあたる若者中心の街で、色々な大音量に溢れ大変な人混みで、非常に疲れる。用事がなければあまり行きたい所ではない。40分ほど自由時間にする。Hさんは眼鏡を作りたかったようだが、お目当てのデザインのが無く、パス。

 また集合して百済参鶏湯・ペクチェサンゲタンという愛用している店があるので行く。サンゲタンの店は色々あるが、私はここの鶏肉が、一番味が良いように思う。塩コショウで各自の好みの味にして食べる。皆さんも満足されていたようだ。人参酒が小さい盃にサービスで出たが、女性の分が回ってきて結構良い気持ちになる。

   
 

 地下鉄でチョンノ3ガに戻り、旅館で4泊分の清算。一部屋1泊23000Wなので4泊分92000W(1万2千円弱)をおばさんに各自、部屋の鍵と引き換えに払った。I、F夫妻は二人でも同じ値段なので一人4泊6千円で泊れたことになる。

 9時過ぎに男4人でタプコル公園脇のピマッコル・裏通りにあるマッコゥリの店に行った。ここも定番の店だが、今回は、女性はほとんどお酒が飲めない方達なので残念ながら男性のみの参加となった。カナダライに白酒が、なみなみと入って出てくる。それをお椀で汲んで飲む。つまみは、名前はわからないが、ホッケと鯖に似た焼き魚。私はともかく?今回の男性陣はいずれも酒豪揃いなので、酔わないけれど、お腹がいっぱいになると言うことだった。それでもタライのおかわりをする。女主人は年が若くなっていて、以前の方とは似ているけれど違う方だった。多分妹さんか娘さんかもしれない。

   
    ピマッコル・裏通り 入口            マッコゥリ屋さん


2月28日(水)
 8時半に集合して、これも定番のハンデクク・干し鱈の雑炊屋さんに行く。2000Wで干しスケソウ鱈と豆腐、大根のスープ。小エビの塩辛、唐辛子、キムチなどでお好みの味にして、ご飯を混ぜる。いやな方は別々に食べてもかまわない。オモニも、お兄さんも元気だった。行くたびにメニューが豊富になっている。(私はハンデクク一筋)

 食後、すぐそばのタプコル公園見学、翌日が3月1日の独立運動記念日なので、飾り付けや式典の準備が始まっていた。ここの八角堂で歴史的な大日本帝国からの独立宣言文が読み上げられた。その後歩いて昌徳宮・チャンドックン見学。古瀬さんと林さんは65歳以上で、大体の所は見学無料。一人の日本語ガイドさんに200人以上の日本人がついて回る。私と林さんはかなり後から離れて見学する。人がいないと、えも言われぬ良い雰囲気の空間に包まれる。休憩する庭の池は氷が張っていなかった。こんなことは初めてだ!以前寒いときはガイドの運転手さんが厚い氷の上に乗ったことさえあった。

 
       後園への登り坂                         休憩の庭からの階段


 歩いて仁寺洞・インサドンまで行き、サムジーキルという建物の地下にある古宮・コグンという店で全州伝統ピビンパッを食べる。本店は全州・チョンジュにあり、ミョンドンにも支店がある。棗、銀杏、ユッケ、鰻、卵の黄身など様々な具が上にのっていて、モヤシスープを少し垂らして混ぜに混ぜて食べる。ピビンは混ぜる、パッpはご飯と言う意味。ここの白菜キムチは最初のは少しすっぱみがあったが、上品なお味で、今回の中では一二を争う。2回ほどおかわりしたが、3回目のは、すっぱくなかった。表にサンプルの巨大ピビンパがあり、I夫人をモデルに写真を撮った。

 
        左上のキムチ、絶品                   全州伝統ピビンパp


            


 そのあと1時間ほど自由行動にした。各自、陶磁器やらお土産やらを買っていたようだ。私は充電池の具合が悪いのでタプコル公園の脇の1000Wショップまで歩いて普通の乾電池を買った。10個もあった。ところがこれが大変な不良品で、デジカメで少し使うと、すぐ容量がなくなる代物だった。130円で、もう一度その店に行くことはなかったので文句は言わなかったが、皆様ご用心! 今回はデジカメ用の乾電池と、小雨でもすぐ染みてしまう7年以上履いている韓国製のスニーカーに悩まされた。

 近所に景福宮・キョンボックンがあったので、またまた歩いて見学。この日はかなりの強行軍だった。勤政殿・クンジョンジョンと慶会楼・キョンフェルの前で記念撮影。
 
          慶会楼・キョンフェル                  


昨年10月のときも北の裏門が開いていたが、今回も開いていたので、青瓦台・チョンファデ、大統領府を写真に収める。この建物の青瓦は本当にきれいだ。そして後ろには山が控えていて風水的にも良い場所に建てられている。 ただこの時は写真を撮るのに植木屋さんの作業車が門の前にあったのが邪魔で残念だった。この門が開いていないと正門まで戻ってまた、かなり長い距離を歩かなければならないので、北門が開いているのは幸運だ。旅館までタクシーで戻り、夕方まで休憩。

 休憩の後、皆さん元気を取り戻し、またもや15分ほど歩いて、いつもの広蔵市場・カンジャンシジャンの屋台で飲食。女性は海苔巻・キンパ、春雨・チャプチェ、オデンなどを食べ男性はマッコゥリ、ソジュ・焼酎を飲みながらスンデ・韓国ソーセージ、チョッパル・豚足などをつまむ。女性には先に行ってもらって、これも馴染みの海産物屋さんで明太子を買う。その後別行動をとり、登山具屋さんで商売用の品物を買い、別の店で林さんは靴を買い、私はコベアの登山用ステッキを買ったりして、歩いて旅館に帰った。

 
          豚足・チョッパル

  


 夜は一人でうろうろして、カンバン・看板と言う店で食べた。ここは1500Wでヘジャンククという牛の内臓ベースの雑炊を食べさせる店だ。以前はご飯が値段相応で、やはり…という感じで足が遠のいていたが、ご飯もバージョンアップして美味しくなっていた。日本の立ち食いそばでも、200円弱の店は無い。スープとご飯で、カクテキまでついての値段だからこれは驚きだ。


3月1日(木)
 朝8時に旅館を出て、昨晩の200円ヘジャンククの店へ案内しようとしたが、なんと!!わからない。以前も行方不明になって、ほかのお店に訊いたら、ハンデククを教えてくれたいきさつがある。この重大な謎?はいつか解明したい。結局ハンデククに行くことになり、卵スープ組と2種類を食べた。卵スープも結構おいしかったようだ。

 水原・スゥオンまではTマネーカードも通用した。約1時間乗って200円ほどなので日本の料金の4分の1くらいか、10時頃着いた。民俗村案内所で11000Wの券を買い、10:30の無料シャトルバスに乗る。スゥオン駅の案内所の場所は行く度に替わる。PCのソウルナビで調べていて良かった。バイパスができて25分の所要時間。

入場して11:00から農楽の演技があるので急いで演技場に向かった。以前はせいぜい七八人だったと思うが、今回は20人以上の若者が張り切って演じていた。すごい迫力!貞洞劇場のも良かったが、やはり農楽は野外の芸能だと納得した。年が若いのか、テープを首で回しながら、体自体も何回も繰り返し飛び回る演技には、やはり我がグループも、観客も熱狂していた。3月1日は祝日なので韓国人の家族連れが多数、見物していた。

 
 

 


綱渡りも楽しかったが、話し言葉がわかるともっと楽しかったと思う。「この綱渡りは韓国独特の文化です…」くらいしか解らなかった。婚礼の儀式は、休日なのか、本物の婚礼で家族が列席し、知人友人が記帳していた。前に見たショーのときは、花嫁さんはかなりの美人だったが、今回本物のときはそれほどでもなく(失礼!)妙な安心感を覚えた。このほかに繭から糸を取っていた。私の母の実家でもお祖母さんが同じことをやっていたので大変懐かしかった。鍛冶屋さんの農具を作る作業も写真に収めた。

    


 
    韓国では頭の上に載せて物を運ぶ習慣がある。


   





 お昼は2時近くに奥の市場のような感じのお店で食券を買って自分で各ブースに行ってとって来て食べる仕組みの所だ。食券売り場は相変わらずカタカナの表記の間違いが直っていない。トンドン酒はトソドソ酒だし、チジミはジチミだったかな?インサドンでも面白い間違い表記が何年も直っていないし、やはりこの辺がケンチャナヨ!?と感じる所以である。トソドソ酒ではないトンドン酒は男共一人一本ずつ頼んだら、度数は日本酒並みにあり、量は4合くらいあったので、多すぎてやっと飲んだ。

 4時半のシャトルバスに乗って水原駅まで行き、まだ少し早かったので、模範タクシー2台で世界遺産の水原華城・スゥオンファソンの城門を3箇所ほど見て回った。私は川の上に建てられている華虹門・ファホンムンが気に入っている。一度、雨上がりで増水した後に見てみたい。今回もほんの一部しか水が流れていなかった。門の下を全部水が流れ落ちて、虹が出たらすばらしい風景になると思う。

  
      スルメ焼き 美味しかった!!マシッソ!!              華虹門・ファホンムン

 夕食は旅館近所の焼肉屋でコチュジャンテジカルビを食べる。I夫人はお疲れでパス。7人で、6人前を注文して丁度良かった。


3月2日(金)
 実質的な最後の日。寒くはないが小雨が降っている。国立中央博物館見学。地下鉄1号線に乗りソウル駅で4号線に乗り換え、二村・イチョンで降りる。所要時間約20分。

9:20分から2時間、鑑賞にあてる。私は3階の韓国コーナー、仏像と、陶磁器のコーナーを見る。あまりにも丁寧に見すぎたのかそこだけで時間がきてしまった。国宝の弥勒菩薩金銅像は、鑑賞と言うよりはお参りに行くと言う感じだ。いつも敬虔な気持ちになる。雨で時間が早いのかほとんど人がおらず、ゆっくり鑑賞できた。昨年は弥勒菩薩の絵葉書はバラでは売っていなかったが、今回は一枚500Wで売っていた。2枚買い求める。民俗芸能のCDを買おうと思ったがカードが何故かエラーが出て使えずあきらめる。ほかの店では問題なく使えたのに、かなり悔しい思いがした。またゆっくり何回でも行きたい。

 これも昨年行ったソウル大学のある大学路・テハンノにあるノルブチッpと言う定食屋でお昼を食べようと思った。同じ4号線で10駅ほどの恵化・フェファという駅から3分ほど歩いたピザハットの隣にあるはずだった。ところが昨年はあったのにつぶれていて、『南道』と言う店に替わっていた。ノルブチプは定食が10000Wで食べられた。替わった店はお昼定食が13000W。時間が過ぎていたし、雨の中、ほかに探すのも面倒なのでそこで食べたが正解。3回ほどに色々なおかずが分けて出てきて、いずれもおいしかった。 最後の方は小さいお釜にご飯が入っていておこげはお茶を入れてお茶漬けのようにして食べるようになっていた。

 午後は、結構雨が降っていたので、I夫人のチャングムロケ地、見学希望!は、却下され、女性3人とHさんはロッテデパート、F夫妻は西大門ソデムン刑務所博物館、私とIさんは、チャングムのスコアを探しにと、3箇所に分かれた。

 私とIさんは旅館で30分ほど休憩して、近所の楽園楽器店街・ナガンアッキサンガに行ってみた。ピアノ、弦楽器、フルートなどの楽器やオーディオ類が、ずらーっと並ぶ巨大楽器店街だが、楽譜屋さんは残念ながらなかった。フルートを修理しているお店で訊いたら隣の建物の5階に『韓国音楽社』と言う楽譜屋さんがあるというので行ってみたが、ピアノ、バイオリン等のクラシックのパート譜専門の店だった。どうしようかと思って、光化門・カンファムンにある教保文庫・キョボムンゴに行けば楽譜もあるかもしれないと思いついて、雨の中を30分ほど歩いた。後で考えれば地下鉄5号線で一駅だった。楽譜もあり、スコアも色々あってチャングムの…?と言うと女店員さんが色々時間をかけて探してくれたが残念ながらスコアはなかった。ピアノ伴奏譜はあったが邦楽合奏には使えないし、色々な曲集の一部なので残念ながら諦めた。帰りは地下鉄で旅館に戻った。5時前だったが井上さんがどこかに飲みに行こうというので、つまみもあるし、売店で買って、部屋でマッコゥリを飲み始めた。

 最後の晩餐は近所のお好み焼き屋で盛り上がった。チョンノ・ピンデットと言う店だが大変な繁盛店で、客席担当の女店員さんがたった二人で過労死するのではないかと思えるほどハードに動き回っていた。色々なチヂミやピンデトッkと言う緑豆を粉にしたお好み焼きなどをつまみに、男共はマッコゥリやソジュで盛り上がりすぎた。オバ様方、ごめんなさい! アジュマドゥル・ミアネヨ!

       
     最後の晩餐?                       生ビール ERDINGER


3月3日(土)
 朝7時に旅館出発、8時半前にインチョン空港に着いたが土曜日のせいか、かなりの行列で時間がかかり、早めに旅館を出て良かった。手荷物検査でIさんのコチュジャン・唐辛子味噌が引っかかるトラブルもあったが10時過ぎには手続きを終えた。時間があったのでぶらぶらしていたら、スナックでドイツ・バイエルンのERDINGERと言う生ビールがあったので、旅行記のメモを取りながら飲んだ。本当においしかった!・チョンマルマシッソ! 航空機は予定通り、11:20分にインチョンを飛び立って13:30に成田に着いた。出口で解散、お疲れ様でした!!

  (注、ピビンパp ピンデトk などの表示はパッチムがあるので便宜的にアルファベット小文字を加えました。
   ご理解ください。)




             参加者の方々の感想

 ソウルに5日間もウロウロしてました。韓国って日本と時差がないんですね。知りませんでした。何にも知らないで行ったのですが、実に居心地良く食べ、飲み、観、歩きました。これも彼の地24回目という先達のお陰でしたが。二つだけ印象を述べると、宮殿跡などでの衛兵の交代や民俗村での農楽など、観光客へのサービスがよいのと商売がとにかく活発で、道路、駅構内、地下鉄車両内、夜は道路が屋台で占領されるなど、それが、全てイヤミがないのが良かった。

 韓流ブームからほど遠い私ですが、衛兵役の180センチ以上の髭の若者は中々なものと感心しましたよ。チャンドン劇場の踊り手の1人にぞっこんで、カミサンの前でツーショットまでしちゃいました。ソラクサンも良かったでしょうがこっちもいいよ!
   (千葉こまくさハイキングクラブ・HP掲示板より)     T F               



      加藤さんが段取ってくれた韓国ソウル旅行に参加して
  私にとって4回目の韓国の旅は参加者8人4泊5日の予定でした。
  4泊5日の観光名所は65才以上は無料!!(但し公営のみ)食事はどこもおいしく安価で、韓国どぶろく(マッコゥリ)にどっぷりと浸りましたよ!?
 貞洞劇場の伝統芸能鑑賞は日本の浪曲に似たパンソリと農楽に感激。国立博物館の仏像に見惚れ、旅館のオンドル部屋は心地よくて、料金は安く、又の機会にも利用しようっと。

                               Y H


 「チャングム」からはじまったあこがれの韓国の旅。一つの都市に、李朝時代宮殿と現代的なビルと屋台が同居しているのは不思議な感じでした。貞洞劇場や民俗村でみた躍動感のあるすばらしい伝統芸能に感動し、邦楽をやっている私達ももっと勉強せねば…と思いました。野菜たっぷりの美味しい料理をたくさん食べ、毎日1.5万歩以上も歩いたせいか、体調も良くなりました。雨でチャングムワールド行きが中止になったのは残念。次回は絶対いきます!
                               H I


 私のテーマは韓国の歴史と民族音楽。初日に貞洞劇場で韓国の伝統芸能に触れ、翌日からは、昌徳宮、景福宮、スウォン華城などスケールの大きな宮殿や城を訪ねることができ、大満足の旅行でした。ソウルの表通りから裏通りまで、よく歩き、よく食べ、よく呑みました。国立中央博物館は圧巻でした。もう一度行ってみたいと思います。
                        
K I
  

 今回の韓国旅行、一般のツアーと異なり、ありきたりな内容ではなく、全体的に中身の濃い内容だったようです。普通のツアーでは絶対に行くことの出来ない下町散策を筆頭に、そこに住んでいる方の生活を感じる事ができました。新鮮と驚きそして懐かしさを感じる旅となりました。地下鉄や屋台等々、一般コースでは絶対に味わえない体験は、これからの海外旅行へのステップになりそうな予感を味わっております。色々と新鮮な感動をありがとうございます。
                                              M O


 インチョン空港周辺のマンション建設群の多さに驚きました。貞洞劇場では韓国の伝統芸能に感動しました。日本にこのような伝統芸能があったかなあと考えさせられました。タプコル公園で日本の官憲に抵抗する民衆の姿が描かれたレリーフ見て、申し分けなく思いました。
地下鉄は広くきれいで、車椅子の方への配慮など行き届いた設備に、韓国民のやさしさを感じました。民俗村では、昔の農家・農村風景に心が癒されました。スウォン華城の城郭は全長5キロもあるそうですが、ぐるりと一周歩きたかった、壮大な南大門の階段も登って見たかった、などなど欲をいえばきりがありません。

                                               K S

   

   特別寄稿   ソデムン(西大門)刑務所歴史館を観た  T F

 ソウル滞在も4日目、午前中に国立博物館で朝鮮文化の粋を集めた展示で、古墳時代の金製の王冠のきらびやかさ、鉄で鋳造した仏像の時代を映した佇まい、陶工の巧みをこらした青磁の数々、弥勒菩薩の思惟の深さ、などを感じつつ外へ出ると、まだ雨であった。

 初日から違和感なく楽しく過ごしてきた旅であるが、楽しいばかりが旅じゃない。日本と朝鮮の間には忘れてならない関係があるのだから、それを認識させてくれる場所を必ず訪ねようと考えていた。昼食を終えて帰りの地下鉄4号線、音楽家2人は「東大門」で降り、4人が「明洞」のロッテ百貨店に向かい、我々2人は「忠武路」で3号線に乗り換え、「独立門」で降りた。

 ソウルの北部に連なる山裾に「ソデムン(西大門)独立公園」が広がっていた。地名の「西大門」は漢城四大門の一つであったが、日本統治時の1925年に撤去されたという。陰鬱な雨で通行人も少ない中を進むと、いかにも刑務所と思われる外壁と監視塔をもつ建物があり、潜り戸の脇に入場券の売り場があった。博物館では65才以上で無料だったのでパスポートを見せると、「ここは韓国人だけが無料」と言われた。特に日本人ではね!と納得?して、潜り戸から入った。

 正面の管理棟は歴史展示館として使われ、朝鮮民族の日本統治に対する抵抗の歴史が資料や映像、拷問や弾圧の模様を動く人形をつかって示していた。正にそれは日本本国でも日本共産党員や民主的な考えを持つ無数の日本人に対して加えられたものであったのだ。敵に理があればあるほどひどい拷問や刑を行うものなのだろう。

 体験室では裁判の被告、獄中生活が体験出来、疑似ではあるが爪刺し拷問、箱拷問、電気拷問や、絞首刑まであった。若い女性が無邪気に刑場の椅子に座り、下の床が落ちる瞬間の動きを経験していたが、私は座る気になれなかった。その後、実際の死刑場、遺体を運び出す屍躯門(共同墓地までの秘密通路) 女を投獄・拷問する地下独房などを観て、追悼碑の前では、もう頭を垂れるだけであった。
丁度前日が3月1日の独立記念日であったので、碑は多くの花と幕で飾られ、殉国烈士の誇りとそれに打ち砕かれた侵略・大日本帝国の深い恥を思い知らされた。と同時に当時の日本にもこの人たちと同様に戦った人達がいたことを誇りに思った。


 雨は依然として降り続いており陰鬱さは変わらなかったが、この歴史館を日本の歴史教育の中に組み込むようにしなくてはの強い思いと共に、独立門を後にした。
 

    


  特別寄稿文への感想…     

 (今回同行の方達にはお話しましたが、私が韓国にのめりこむきっかけは、父方の6人の叔父叔母達、祖父母が、植民地として不法に占領していた、今は北朝鮮の軍港になっている清津・チョンジンに戦争で負けるまで住んでいた事実がある。山形の母方の伯父に子供がいなかったので、加藤家に養子に入った父も戦前、休みの時には、新潟から船に乗って北朝鮮のチョンジンまで度々遊びに行っていた。

 祖父は視学といって、戦前の教育長と県知事をあわせ持った様な役職についていた。要職についていたけれども朝鮮人を差別することもなく、逆に貧乏で優秀な朝鮮人の生徒達を自宅に住まわせて学費の援助もしていたらしい。敗戦直後ソ連軍が国境を越えて侵入し、現地日本人が悲惨な目にあったときに、パルチザンの一個中隊が佐藤家の周りを防衛してくれたという話しも叔父から度々聞いた。 私のHP『韓国の庭』の『14回目の韓国』03.11seoul.html (←クリック)に西大門ソデムンのことも載せている。あのときも冷たい雨が降っていて、本当にやりきれない気分だった。突き詰めると、ノホホンと韓国になんか行けなくなる気持ちになる。 平和憲法9条は絶対守ろう!戦争だけはもういやだ!!

 Fさんの寄稿文では日本人が過去の絶対忘れてはならない歴史的な事実を、改めて教えていただきました。ありがとうございました!カムサハムニダ!    加藤 )

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